教育界の試み

2018年5月24日更新

第Ⅰ部 教育とは何か

第四章 教育の諸相 ―強制としつけ―

 話を聞かない子どもを動かすためのより直接的な方法は、強制することである。もっとも典型的には、物理的によって、もう少し巧妙には心理的力(威嚇)によって、相手を思うとおりに動かすことである。子どもが何を言っても聞く耳をもたないとき、そして子どもの意志のままにさせておくことができないときには、強制することも必要である。

 強制は、体罰と混同されてはならない。体罰は処罰の一種であり、処罰は規則に従って科されるものである。したがって予め決められた規則に従ってなされる強制力の行使だけを体罰と呼ぶべきである。教育の方法の一つとして処罰するということは、教育の方法として賞罰を用いるということであり、それが子どもの気づきを促すものであれば許されるであろう。しかし一般的には、処罰は、教育の方法ではなく、明確に学校管理の方法として、つまり学校という共同生活の場の秩序維持の方法として考えられるべきである。

 弱い者いじめをしようとしている腕白小僧の手を取ってそうさせないのは物理的強制であり、そんなことをしたら殴るぞと脅してそうさせないのは心理的強制である。この強制をしようとして殴ってしまったとしても、それは体罰ではなく、強制の一手段だと言わなければならない。あるいは、強制の行き過ぎ、または強制の手法の過ちになる場合もあろう。このような強制を一般的に教育の場から排除することはできない。殴ってしまったら問答無用、絶対に悪いというのでは、本気になって悪い行動を引き止めることができなくなるであろう。さらに、強制を意図しない説得であっても、それが真剣であればあるほど暴力に至る可能性が大きいことも忘れてはならない。真剣であるから暴力を振るい、無関心であるから暴力を振るうまでには至らないこともある。権威主義だから(その権威を否定されて)暴力的になることもあれば、対等主義だから(相手を受容することができずに)暴力的になることもある。人間関係が暴力に陥る条件は、単純ではない。いずれにしても、起こってしまった暴力行為は、暴力行為としてその是非を問われるべきであって、一概に体罰として責められるべきではない。

 強制を教育の場から排除することはできない。しかし、これを安易に教育の一種として位置づけることはできない。子どもが強制されて悪いことをしないとしても、それが強制によるかぎり、強制がなくなればただちに悪いことを始める可能性がある。そうだとすれば、子ども自身は、強制によって何も変わっていない。強制がこのようなものであるかぎり、それは教育を行うための条件づくりではあっても、それ自体を教育ということはできない。ただし、心理操作の場合と同じように、強制も一種の教育になりうる場合がある。強制によって、子どもは自分の悪いことに気づくことがあるからである。強制がそのように働くときには、教育の一種として位置づけることができる。

 以上は、もっぱら悪いことをしないように強制する場合を考えた。逆に、よいことをするように強制する(条件づける)場合も考えられる。いわゆるしつけがそうである。しつけは、一定の行動パターンを反復経験させることによって、行動や意識の習慣化を図ることである。子どもは、トイレの使用法、食事のマナー、挨拶の仕方など、どのような状況でどのように行動すればよいかを教えられ、それを繰り返し反復することによって習慣化していく。子どもは、当初は、意識的に教えられたとおりに行動するように注意しなければならない。注意を怠れば、正しい行動ができない。しかし、十分に反復してその行動が定着してしまえば、正しく行動するように注意する必要がなくなる。半ば無意識に正しい行動ができるようになる。反復は、このように正しい行動が定着して無意識化するために必要とされる。しつけは、知らないことを知る状態に変えるという意味での教育ではなく、すでに知っていることを習慣化するという意味での訓練である。

 しつけは、基本的には、監視可能な行動に限られる。しつけが成功する以前には、子どもはどのように行動すればよいかわかっていない。それゆえに、悪意なく誤った行動をする。誤った行動を繰り返せば、うまくしつけられない。しつけが成功するためには、しつけられるべき行動パターンが十分に定着するまでは、親が子どもを監視し、行動を正すことができるのでなければならない。それゆえに、しつけは、監視できる程度に限定された行動についてのみ効果を上げる。

 ある意識が多種多様な場面で多種多様な仕方で行動として表現される場合、それゆえにその行動を監視することができない場合には、その意識をしつけによって形成することは不可能である。道徳をしつけによって教えることが困難なのはこのためである。道徳的に善い行動、悪い行動は、様々な場面で様々な現れ方をする。親や教師はこれをすべて監視しているわけにはいかない。何か特定の行動パターンを習慣づければ、一般的に道徳的な意識が生まれてくるというわけでもない。ここにしつけの限界がある。

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12/12 更新
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