教育界の試み

2018年10月4日更新

第Ⅱ部 これからの公教育

第九章 多文化国家の公教育―これからの公教育 言語教育―

 人間は、どの言葉を学んでも十全に人間らしい人間になることができる。人間らしい人間になるためには、何か特定の言葉を学ばなければならないわけではない。人間は、人間らしい人間になるために自らが使う言葉を自由に選ぶことができる。ただし、その自由がある程度は制限されることは認めなければならない。

 第一に、いずれに言葉であれ、その言葉に習熟するためには適切な環境と相当の努力とを必要をする。話し言葉を一つだけ習得するのであれば、この条件は比較的容易に満たされるけれども、二つ以上習得するのであれば、この条件を満たすことは容易ではない。したがって数多くの言葉を選ぶことができるけれども、選びうるのはごく少数の言葉である。

 また、言葉が言葉としての機能を果たすためには、周囲に同じ言葉を使う人がいるのでなければならない。異なる言葉を使う人と意思疎通するためには、周囲に通訳なり翻訳をしてくれる人がいるのでなければならない。この条件が満たされるためには、同じ言葉を使う人々が相当大きな規模で存在し、その中に他の言葉を使いうる人が含まれているのでなければならない。したがって、多くの場合、ある程度広い範囲で多くの人々に使われる言葉が選ばれることになる。

 加えて今日の文明化した社会では、話し言葉だけでなく文字言葉も使えることが必要である。したがって、今日では誰もがいずれかの文字言葉を選んで学ばなければならないといっても過言ではない。文字言葉が存続するためには、話し言葉が存在するよりもはるかに大きな人口規模を必要とする。そのために、人間各個人が意図的・組織的教育をとおして学ぶべき言葉は、実際に使われている話し言葉よりもはるかに少ない文字言葉のうちから選ばれなければならない。

 このようにして、現実に人々が選びうる言葉はいま現に存在している言葉すべよりは限定されるけれども、それにしても多種多様であることができる。我が国においては、すでに日本語が共通語として確立しているから、あえて他の言葉を学ぶ必要はないかもしれない。しかし、無理に日本語だけに限定する必要もない。どの言語を教えるか(教育用語として使うか、また第二言語、第三言語等として教えるか)は、その時その時の状況に応じて検討すべき事柄である。

この連載は、書籍からいくつかの内容を抜粋して掲載しております。
書籍の詳細を知りたい、書籍の購入を希望される場合には、こちらからご確認ください。

書籍の詳細を確認する

PDFサンプル版はこちら
(ファイルサイズ 約 2.5 MB)
12/12 更新
SSL グローバルサインのサイトシール

プライバシーポリシーよくあるご質問お問い合わせ