教育界の試み

2018年9月12日更新

第Ⅱ部 これからの公教育

第八章 多文化国家の公教育―多文化国家の可能性 文化を越えた相互理解―

 人間各個人の思考や行動は、その個人の受け入れている文化によって制約される。そのために、異なる文化を受け入れている人々のあいだでは、同じ文化を受け入れている人々のあいだでよりも、相互理解が難しくなることがある。しかし、不可能になるわけではない。文化を同じくする人々と文化を異にする人々のあいだで相互理解の程度に決定的な違いがあるわけではない。

 人間各個人の思考を制約するものは、文化に限られない。動物の一種としての人間の身体(脳はその一部)の生理的機構が人間の思考を制約している。その人間のその時その時の内心の状態(たとえば、フロイトのいう潜在意識)なり外界の状態(たとえば、マルクスのいう生産関係)なりが影響する。これら多種多様な条件によって人間各個人の思考は制約される。しかし、それらの制約によって人間の思考が決定されるわけではない。決定されるとすれば、フロイトの精神分析学は彼の潜在意識の所産であり、マルクスの階級理論は彼の時代の生産関係の所産であって、一般的には通用しない理論だということになってしまう。

 人間の思考を制約するものは多種多様である。我々は、しばしば、気づかないままにそれら諸要因によって制約されてものを考えている。そのために少々話し合っても容易には相互理解に至らないことがある。だからといって、相互理解が不可能だというわけではない。我々は、自分の自身が陥っている思考の制約に気づけばその制約から脱することができる。少なくとも脱するように努力することができる。理性的な話し合いがそれを可能にする。すなわち、言葉による脅迫、利益による誘導、だまし、その他種々の手段を用いて一時的な意見の一致を得るために話し合うのではなく、正しい思考内容を見いだすために話し合うならば、実際に相互理解することができる。文化は、我々の思考を制約する諸要因の一つである。文化に限って相互理解を不可能にする特別な要因だと決めつける理由はない。

 人々の意見や利害の対立は多種多様な要因によって起こる。かつて階級が人間社会に対立を引き起こし、ついに戦争を引き起こすといわれた。東西冷戦の時代には、階級というよりも資本主義経済体制と社会主義経済体制のどちらをとるかというイデオロギーの対立が国家間戦争の主要な原因であった。そして今日でも、経済政策において資本主義的手法と社会主義的手法のいずれを重視するか、あるいはどのように組み合わせるかという思想あるいは理論の対立が、戦争にまでは至らないにしても、国内的および国際的な政治的争いを生み出している。東西冷戦の終結後は、民族または宗教、あるいは文化または文明が人々(諸国家あるいは国家以外の諸社会集団)を戦争にまで至らせる対立の主要な原因だと主張する人々も現れた。また最近は、貧富の格差を是認して人権を無視する専制国家(およびそれを支援する国家群)とこれを武力を用いて倒そうとする諸社会集団(およびそれを支援する国家群)との対立が戦争を引き起こしているようにみえる。

 相互に対立する考え方が学校で取り上げうる程度に平和的に共存している状況で、その対立が子どもの興味関心を呼び、また理解可能でもあるならば、その問題は学校でも教えられるべきである。その場合、どのようにすれば、公教育の中立性は維持されるか。しばしば、相互に対立する考え方の争点を避けて共通部分だけを教える、あるいは争点を示してもその比較評価はしないという教え方が提唱される。たとえば、多種多様な宗教宗派について、その共通点だけを教えるが、相違点や対立点には触れない、あるいは、あるいは触れても比較評価はしないという方法である。。

 人間の社会において現に対立している意見や利害(これは明示的に現れている)とその対立を生み出す要因(これは潜在的にあるものとされる)とを明確に区別することはできない。理屈の上では区別することができても、現実の対立の解消をめざす話し合いの中で区別することは無用である。なぜならば、人々の意見や利害の背後にあるどの潜在的な要因なるものの対立は、それが潜在しているかぎりは気づかれないから、話し合いで取り上げられないであろう。また、誰かが気づいて話し合いの中で取り上げれば、その要因も明示的な意見や利害の一部として組み入れられて話し合いが行われるであろう。いずれにしても、現実に対立の解消をめざして話し合いをするところでは、人々が取り上げるかぎりすべての論点について話し合うほかないのである。

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12/12 更新
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